第119回 卒業証書授与式(平成30年3月1日(木))
卒業証書授与式
卒業生入場
卒業生入場
卒業証書授与
校長告諭
来賓紹介
在校生総代送辞
卒業生総代答辞
式歌斉唱
校歌斉唱
3学年団挨拶
その他
その他
その他
その他
平成29年度 三重県立四日市商業高等学校卒業式 校長告諭

 日本各地に記録的な豪雪をもたらした冬もようやく終わりを告げ、 すこしずつ日差しに春の息吹を感じられるようになりました。 この早春の佳き日に、本校第119回の卒業証書授与式を多数の来賓の皆様、保護者の皆様の ご臨席のもと挙行させていただきますことは、この上ない喜びでございます。 山内道明県会議員様はじめ来賓の皆様にはご多用のところ、ご出席を賜り誠にありがとうございます。 高いところからではございますが、厚く御礼を申し上げます。また、保護者の皆様におかれましては、 お子様のご卒業本当におめでとうございます。今日まで学校からも様々なお願いをしてまいりました。 3年間いただきましたご理解、ご支援、ご厚情心からの感謝を申し上げます。

 さて、先ほど277名の皆さんに卒業証書を授与いたしました。 卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。高校生活に期待と不安を抱きながら迎えた入学当時から3年、 本当に真摯に誠実に努力をしてきました。その成果が形あるものとして昨日の表彰にあらわされていました。 皆勤賞85名はここ3年間では最高の数字です。検定や国家資格等商業の学習に成果があった人144名、 クラブ活動で全国規模で成果を挙げた人、79名。3年間の積み上げなしには達成しえない素晴らしい成果です。 しかしながら、こういった数字や形となっては表れない皆さんの成長も大切です。 つきなみではありますが、振り返れば皆さんの脳裏にこの3年間の出来事や想い出が次々に蘇ってくるのではないでしょうか。 楽しかったこと、嬉しかったことばかりではないはずです。いや、むしろ苦労したことや悩んだこと、辛かったことの方が 多かったのかもしれませんが、それこそが今の皆さんの成長への糧となったと信じています。

 ところで、皆さんの入学式で私がどんな話をしたか覚えていますか。 私は泗商に赴任にて初めての入学式でもあり、よく覚えています。声帯を摘出した歌手のつんくのことを紹介しました。 3年前の近畿大学の入学式でのつんくの話を通じて、みなさんに伝えたかったのは、今まで受け身の人生であった人も、 自分で人生を切り開いてほしい、高校入学は大きな節目であり、今までの自分の良いところは更に伸ばしながら、 不満なところを改善するチャンスとしてほしい、そして、夢と希望を持って高校生活にチャレンジしてほしい、 ということでした。それからもことあるごとに皆さんには、チャレンジしようとか、 一歩前へといったことを投げかけてきたと思います。それは、本校は秩序やマナーがしっかりしていること、 生徒がやるべきことをきちんとできることを誇りにしていますが、一方で、「一歩前へ」踏み出したり、 積極的にチャレンジしたり主張したりすることは苦手としている人も多いと感じていたからです。 協調性をもって真面目に頑張ることは素晴らしい美徳であることは言うまでもありませんが、 今の時代社会で活躍するためには自立や自主性というものも求められています。 高校卒業という大きな人生に節目に立った今、もう一度夢と希望を持って一歩前へ、と言い聞かせてください。

 さて、夢と希望を持って頑張るといえば、そういう人たちをピョンチャンオリンピックではたくさん目の当たりにしました。 皆さんも、日本人選手の活躍や様々なシーンが記憶に新しいところだと思います。 女子スピードスケート500mでは日本選手団の主将を務めた小平奈緒選手が見事金メダルを獲得しましたが、 彼女の所属企業は相澤病院という松本市にある地方病院です。通常、一流のスポーツ選手の所属は、 大手の一流企業が一般的です。例えば、フィギュアスケートでオリンピック連覇の羽生選手はANA全日空、 日本人で初めて陸上100mにおいて10秒の壁を破った桐生選手はこの春から日本生命の所属となります。 小平選手のような一流の選手の所属先としては少し意外に感じました。相澤病院は病床数460の中規模病院 この辺りだと三重県立総合医療センターとほぼ同じ規模です。小平選手は長野県生まれの地元選手です。 信州大学卒業後もの同大学のコーチの指導を受けたくて受入企業を探していたのですが、 なかなか見つからなかったようです。地方の一病院がアスリートを雇用するのは異例であり初めてのことでした。 周囲には反対する声もあったようですが、相澤院長は「地元長野の選手が、やりたいように競技を続けられないのは おかしい、彼女らしくスケートしてくれれば病院も患者も地域も前向きになれる」と英断し雇用しました。 わき目も振らずに競技に打ち込み、スケートを追求する小平選手に心を動かされ、それ以来小平選手の支援を続けています。 小平選手がメダルがとれなかったソチ五輪後にオランダ留学を希望した際にも二つ返事で送り出したとのことです。 そして、何より素晴らしいのは、この病院は小平選手に何の見返りも求めていないところです。 彼女に勝利を求めてもいないし、CMなどへの出演等彼女を広告塔としては一切使っていません。 この相澤院長は三代続く医師で、父からは「利益がでたら世のために使え」と言われていたそうです。 私利私欲に走る経営者も多い中、この相澤病院の純粋な志には賞賛の声が上がっているのはもっともだと思います。 かたや、小平選手も今回のオリンピックの様々な言動を通じてアスリートとしてはもちろん、 1人の人間としての素晴らしさに感動させられることが多々ありました。 金メダル獲得の翌日の会見ではこの相澤病院への深い感謝を述べており、両者の素晴らしい関係に大いに感じ入りました。 皆さんもこれからは社会の中で様々な力をつけていき、多かれ少なかれ富も蓄えていくことになります。 一人ひとりがどのような役割を果たしていくのか、そういった力や富を何に使うのかといったようなことに皆さんも 少しずつ目を向けていくべきであるし、素直に感謝の気持ちを持てる、 あらわせることの大切さ美しさを再認識してもらいたいと思います。

 ところで、皆さんは感謝の言葉、「ありがとう」の反対は何だかわかりますか。ありがとうというのは、 「有り難い」ということですから、反対は「有り易い」即ち「当たり前」ということになります。 私たち凡人は、「人生で当たり前のことなんて何ひとつない、すべて有り難いものである」という事実に なかなか気がつきません。無くしてはじめて気づくのです。当たり前だと思っているかぎり、 ありがたいという感謝の気持ちは湧いてきません。ただし、まさに有り難いことに人間には想像力があります。 間接体験をする力が備わっているのです。世界には、多くの餓えで苦しんでいる人たちや、 飲み水にすら不自由する人たちがいます。そのことに想いを致すだけでも、普通に食事ができ水を飲めることの ありがたさに気づきます。いろんなことに想いを致すかどうかが、気づくか気づかないかの分かれ目なのです。   17歳の脳性マヒの少女が書いた、「ひとつの願い」という日記があります。 「もし神様がいらっしゃるのなら、私のたった一つの願いを聞いてください。歩けないこと、 口がきけないこともがまんします。たった一つ、お便所に一人で行けるようになりたいのです。 お願いします。」と書かれていす。 はっとしました。私を含めたいていの人は、歩けること、口がきけることのありがたさまでは、普段感じていないのです。 人は、自分が恵まれているということには気づきにくいものです。先の小平選手の場合もそうですが、 正に「有りがたい」気持ちを持てば少し世の中が違う風に、見えてくるのではないかと思います。

 皆さんの前には洋々たる人生が待っています。皆さんには素晴らしい宝物、時間があります。 これから様々な体験をして、活躍されることでしょう。地位を築く人、派手に活躍する人、 こつこつと自分の道を地道に進む人、皆さんの人生は277通りです。ただし、どの人の人生にも山や谷が必ずあります。 声帯を摘出したつんくさんは、その後も音楽プロデューサーとしての活動は精力的に続けています。 また、食道発声法を習得し少し意思疎通ができるようになってきているといった報道もされました。 羽生結弦選手も優勝翌日のインタビューで、「今幸せだから、またすぐ不幸がたくさん起きて辛い時期が来るんだろうな。 でも、きっとそれは次の幸せのためのステップだと思う」と語っています。 苦しい時にこそ人間本性が出るものですが、苦しい時にこそしっかりと現状に向き合い最善の努力ができる人に なってください。

 いよいよ旅立ちの時です。皆さんの泗商での3年間の頑張りはだてではありません。 必ずや今後の人生に生きてきます。最後に、これも入学式で紹介した、イオングループの社長さんの言葉を送ります。 「商人として非常に重要な条件を一つだけあげるなら正直であることである」。 校訓の「至誠」の精神を胸にみなさんが大きく羽ばたいてもらうことを、そしていつも「ありがたい」という気持ちを もった素晴らしい人生を送ってもらうことを祈念し、私の告諭といたします。

 第35代校長 鳥井 誠司
平成30年3月1日